名人なるもの

 私の知る名人は蘭のことを四六時中考え,良いと思われることに全力をあげている。時にカンといわれるものや非論理的といわれるものもあえて実施したりする。それは,試行錯誤しながら蘭と向き合ううちその神髄に触れることができるという長い経験から確証があるためである。
銘品といえども野生種であり,単純に結論をまとめることが難しい複雑な遺伝形質を持っている。そのため各々品種の性質によって反応が様々に起こる事を知っているからである。つまり蘭と付き合いが深い人ほど栽培は失敗を経験することで知識が増え,理解が深まってゆくという考え方がベ-スにあるのだ。こんなことは東洋蘭愛好者の周辺にはどこにでもある話なのでここで新めて述べる必要もない。近くに名人といわれる人がおられるなら聞いてみれば良い。名人の説明など本に出来るものではないことに気づくはずである。

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紅梅仙

 さらにもう一つ例を揚げてみる。昭和50年代に発刊された東洋蘭書籍は充実した内容のものが多かった。それはそれまでに起こった大ブームの勢いがそのまま乗り移ったような熱気を感じながら著者が過去の先達の情報を整理、集大成したことが大きいといえ,その内容は栽培技術が進歩した今日でも参考となるところが多い。丁度その中に名人について説明されている部分がある。そこでは名人のことを、「人によって作り方が違うが,皆蘭と話が出来る。」と定義されている。つまり蘭は各人の栽培環境に合わせて柔軟に栽培法が生み出せること,蘭栽培が一定のレベルに達すと,さらにそれ以上の栽培法を生み出すことが名人になるために科せられた課題であること。最後にこの域に達して初めて蘭と話が出来る状態であり,これがいかに難しいかを簡潔に述べられているわけである。
 当然,このレベルになると今までのように書物に頼ることはできなくなる。日々の栽培で問題となるポイントを自分で見つけ,自分で経験した資料作りを始めなければならない。ただただ大変な時間と労力が必要な作業である。

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 桃源香

 東洋蘭は品種一つにしても採れた場所も違えば性質も異なるから,その特性を活かした栽培が必要である。天候もその年によって違うから,肥料を始める時期や回数、濃度も当然違ってくる。花の色出しのため遮光や採光は当然の手段とは判っていても,冷夏や猛暑で初蕾がズレるのを見極めなければならない。名人は年間の栽培の中でその時その時に応じて鉢の置き場を移動したり,風の当て方まで変えてくる。また,少し大きめの鉢を使用したら,その欠点を補うため独自のサナを工夫し空気の流通を考え,潅水の度ごとに鉢を90度回転させてどの篠も満遍無く日が当たるように配慮する。上作するならそれを実施し,苦労をいとわない。むしろそれが楽しいという。
 このように名人への道は,つねに謙虚に蘭の状態を観察し,記録し積み重ねるといった作業の繰り返しなので、いくら本にしようと頑張っても,あまりに条件が多様で複雑,しかも言葉でうまく説明できるものが少ないことから察しても,書物に出来ようはずは無いのだ。
《続く》
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